あの日のワンショット「(19)インドネシア 西パプア州 ソロン」
平成6年秋、外務省の派遣による海外巡回診療団の一員として約一ヶ月、インドネシアの各地を回った。首都のジャカルタで日本大使館の書記官の方や医務官の方からレクチャーを受け、その後、カリマンタン島のバンジャルマシン、スラウェシ島のウジュンパンダン、ジャワ島のスラバヤとスマラン、バリ島のデンパサール、アンボン島のアンボン、そして今回の派遣で一番の果てになる、西パプア州ソロンに鹿児島大学から派遣された我々3名の医師はたどり着いた。ソロンはニューギニア島西端に位置する人口およそ163,000人の都市。昭和17年4月に日本帝国海軍陸戦隊が占拠した地で、それ以前は石油基地として知られていたそうだ。
ソロンへの連合軍上陸はなかったが、同地駐屯の日本軍への度重なる空爆があったらしい。そんな南方の果てに今も日本人が仕事で赴任している。その邦人の方々の健康相談で訪れたのだが、その数は20名に及ばなかったと記憶している。50代~70代男性が水産業などの一次産業関連で単身赴任していた。ここでは様々な思い出があるが、まずは飛行機に乗って着いたのが飛行場だけがある島。そこから写真にある細長いボートに乗って海をわたりソロンについた。そのボートの不安定さとスピードの速さにはかなりの緊張感がただよった。横波がきたら今にも横転しそうなボートなのだ。写真に写る自分の顔がやや引きつっているのがわかる。街並を望む写真は日本人会代表の世話役の方とのワンショットで、オフの時間にソロン市内を案内していただいた。日本人戦没者慰霊碑にも案内していただいた。こんな南の果てでお国のために若くして散っていった方々のことに想いを馳せると、その無念さになんとも戦争の不条理さを感じる機会となった。