あの日のワンショット「(30) バーレーン」
平成7年秋、外務省の派遣による海外巡回診療団の一員として中東5カ国を3週間の日程でまわった。最初の訪問国がここバーレーンだった。
バーレーンはペルシア湾に面した大小33の島から成る人口79万人の島国である。
中東で最も早く石油採掘を行った国で、GDPの約30%は石油関連事業によるものであり、その恩恵で国民は所得税が皆無であるが、1970年ごろから石油が枯渇し始め、このままいくと、あと20年余りで完全に枯渇するという問題に直面しているらしい。
バーレーンでは日本大使館、日本人会、そして日本人学校の方々にお世話になり、バーレーン日本人学校で在留邦人向けの学校検診と健康相談を行った。日本人学校の校長先生は鹿児島出身で、鹿児島大学からの派遣された我々にその校長先生はとても親近感をもって接していただき、帰りにはお土産まで携えて下さった。バーレーンでは大使公邸での晩餐会そして日本人会主催の歓迎会と二晩にわたってお招きを受け、外交官や商社マンの方々から様々なお話を聞く貴重な時間を過ごすことができた。
バーレーンは周辺のイスラムの国々と比べると宗教的規制はかなりゆるやかで、今回の巡回診療で唯一ホテルやレストランでアルコールを飲むことができた。週末には規律の厳しいサウジアラビアからキング・ファハド・コーズウェイという全長24kmの橋を渡ってバーレーンへお金持ちのサウジ人が酒を飲みにやってくるとのこと。
写真に写っているのは、メソポタミア文明とインダス文明を繋ぐ交易の要衝であったと推測されている場所に残る世界遺産に登録されたバーレーン・フォートである。紀元前3千年紀から16世紀に至るまで、時代ごとに新たな建造物が積み重ねられてきた遺跡だ。ここを訪れた時にはあまり感動しなかったが、後になってその歴史を知り、あの時もう少しじっくりと見ておけばよかったと後悔している。